buried in the sound 音に埋もれて眠りたい

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紙媒体と電子メディアテキストの本質的な差異

課題レポート第2段。

 

レポート丸写しはやめてね♪

 

今日は芸術情報論。

 

紙媒体と電子メディアテキストの本質的な差異

 

音声はいずれ消える。どんなに大声で叫んでも伝達される範囲は限られる。対して、文字は書かれることで記録が成り立ち、それを移動させて伝達を飛躍的に広げることができる。「伝言ゲーム」のように途中で曲解されたり、最後には真逆の内容になったりする心配もない。では、情報の全てを一字一句逃さず読み、それを丸暗記する能力が果たして必要なのだろうか?結局は、必要な情報を都合よく、漏れなく目的とする情報だけをキャッチできなければ、読破は単なる徒労に終わる。

 

第二次大戦中、アメリカ大統領の科学顧問であり、マンハッタン計画核兵器開発プロジェクト)の中心人物であったヴァネバー・ブッシュは、当時の国家にとって有用な科学研究・開発をいち早く的確に把握し、公的資金を投入することによって国家の安全、軍事的な優位を保とうとしていた。そのためには膨大な科学論文の中から必要とされる研究を選びださなければならない。これを最も効率的に達成する手段として彼は「メメックス」を提唱した。メメックスとは驚くべき速度で生み出されていく情報に対して、これを自分の思考に役立たせる知的生産のための機械、というアイディアに対する名称である。これを啓示としたダグラス・エンゲルバートがインターフェース開発に注力し、マウスをはじめとする入力デバイスが生まれ、現在のコンピュータの基準となっている。

 

1965年、テッド・ネルソンによって「ハイパーテキスト」「ハイパーメディア」という言葉が初めて使われた。ある本を読んでいるとする。途中、注釈があり、巻末の注釈文を読む。さらに気になる項目を百科事典等でひき、参考関連文献が気になり別の本を探す―。極めて重要な知的探求の基本であり、人は自由に発想をめぐらし類推の手がかりを求めて行動するものである。そして、今読んでいる本を閉じることなく内容についての疑問や注釈へ飛躍できる「立体的」な読書空間が求められるようになり、それがハイパーテキスト、ハイパーメディアとして提案された。

ヴァネバー・ブッシュは「人間がさまざまな不要不急のことがらを、重要なことだと分かったときには復活できるという保証のもとに忘れてしまう特権を取り戻すことができれば…」と記した。情報図書館を準備し、常にアクセス可能なものにするという考えはテッド・ネルソンにも受け継がれ、時代の課題になった。それには情報の単なる蓄積ではなく、精査し読みやすくするために、コンピュータの改良も続けなければならなかった。

 

テレビ、映画などの映像は、時間枠が決まっているタイムベースのメディアである。視聴者は頭の中で対話する以外何もできない。メディアのコントロールは制作者であるプロデューサーが握る。一方、読書は読者が途中で読むのをやめ、本を閉じて続きは明日読むなど、どのように読むのかは読者の任意である。本の内容については作家が支配しているものの、本というメディアに対してのコントロールは読者であるユーザーが握っている。この大きな2つの特徴が、プロデューサードリブンのメディアか、ユーザードリブンのメディアかというメディア体験にとって、重要な影響を及ぼす差異として認識される。

 

現代はコンピュータのもつパワーは多岐にわたり、表現の可能性もかなりの深さと広がりをもちうる時代である。AIがプロ棋士に勝つ、AIの書いた小説が入賞する、将来はAIに仕事を奪われる、など、何かと話題だが、人が自分の言葉で記録し、自分の力で発信することは大切な意味がある。人が創造に参加するからこそ、人工知能も育まれるのではないだろうか。

電子書籍は「スクリーンで読書が可能」という当初の課題はクリアした。今ではほとんどのスマホがネットに接続できるのだから、スマホ電子書籍を読みながら参考文献をネットで探すといった「立体的」な読書も可能である。今後、電子出版の目指すべきテーマは場所やデバイスを選ばないフレキシブルなデータへのアクセスを提供・管理することであろう。権利者が安心して作品を提供できる著作権保護のためにも、たくさんのデバイスに、やみくもにコピーができる必要はない。